日米の血を継ぐデータサイエンティストが抱く医療を前進させる3つの信念
2016.4.1.(金)
世界中の理系トップエリートが集まるマサチューセッツ工科大学(MIT)を経て、スタンフォード大学医学部を2015年11月に卒業したMichael P. Hurley(マイク=写真)。医学部在籍時から日米の医療ビッグデータを駆使し、論文を多数執筆してきた本場仕込みのメディカルデータサイエンティストです。父に米国人、母に日本人を持つマイクは、研修医として新たなスタートを切るまでの期間、GHCにジョインし、日本の医療現場の研究と日米のデータ分析を進めています。日米の医療を、より前進させることを目指すマイクに聞きました。
目次
日本に対して何か貢献したい
――まずは自己紹介からお願いします。
米国東海岸のニューヨークのすぐ南に位置するニュージャージー州で生まれました。ほとんどを米国で過ごしてきたのですが、母親が青森県八戸市出身の日本人でもあるため、幼稚園の時から中学校の2年生までの期間、日本語学校に通っていました。また、子供の頃は毎年、6~9月までの夏休みを利用して、八戸市へ遊びに行くことが恒例行事でした。小学生の時は1カ月だけですが、日本の学校に体験入学もしています。
日本の文化については、ヘルシーで美味しい日本食が大好きです。納豆でも塩辛でも何でも食べられます。子供の頃は、日本に行くと「忍者戦隊カクレンジャー」「まんが日本昔話」などの特撮やアニメを楽しみに見て、米国でも日本語学校の行き帰りの車の中で「ドラゴンボールZ」の主題歌を繰り返し聴いていました。今でも関西のお笑いなどが大好きです。ですから、子供の頃から日本が大好きで、日本に対して何か貢献したいという気持ちが常にありました。
高校卒業後、MITでMaterials Engineering (材料工学)の学位取得後、スタンフォード大学でEpidemiology(疫学)の修士号を取得、医学部を15年11月に卒業しました。16年6月からはカリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)で内科の研修を始めます。そのため、今は西海岸のカリフォルニア州に住んでいます。
研修が始まるまでに時間があるため、また、医学部在籍時に担当教授のJay Bhattacharya(ジェイ)と一緒に日米の医療データ分析をした経緯もあったことから、GHCと共同研究がしたいと思ったわけです。
(1)あえて絞り込まずより価値ある改善を目指す
――医療への興味はいつから芽生えたのですか。
日本にいる祖父が整形外科医だったので、小さい頃から医師になることへの憧れはありました。ただ、MITを卒業する間際になるまで、明確に医学の道を志したいという意思決定をするには至っていませんでした。
最も大きかった理由は、色んなことに興味がありすぎて、何か一つに興味を絞り込むことができなかったことです。例えば、大学1~3年生の頃は、エチオピアとタンザニアでコンピュータサイエンスのレクチャーをし、マサチューセッツ総合病院(MGH)で白血病の研究を行い、コンサルティング会社のベイン・アンド・カンパニーへのインターンシップでは、ヘルスケア企業に関する経営改善プロジェクトに参加しました。
さまざまなことにチャレンジして分かったことは、「統計学や疫学が面白い!」と感じる自身の性質で、自分のキャリアのベースはそこにあると確信したことです。特に、疫学のように最初は全く意味のないデータの海を泳ぎながら、自分の思っている疑問を、データの見方を徐々に変えていくことで答えを出していく過程が本当に面白い。この面白さは医学も似ていて、患者を問診し、そこから得られたデータとデータをつなぎあわせて、どう対処することがベストなのかを導いていく過程の面白さは一緒だと思っています。
最終的に絞り込めなかったのは、医学の臨床をやるべきか、研究をやるべきかということです。ただ、臨床を知らずに研究を続けることは、好ましい選択であるとは思えません。臨床だけでは改善範囲に限界もあり、研究はより大規模な改善を導くポテンシャルがあります。絞り込めなかったというよりも、あえて絞り込まず、より価値ある改善や成果を引き出すことができるキャリアを積むため、臨床と研究の二足のわらじを履くことに決めました。
――内科医を目指すのは、研究を両立させるためにも必要な選択だったのですか。
そうです。当初は、外科医になることを志していました。外科は、非常に分かりやすい成果を出すことができますし、達成感もより大きいと思うのです。ただ、外科医は一種の職人だと思っていて、しっかりと必要な手技を磨き続けないと、衰えていきます。外科医だけを志すのであればいいですが、研究もやりたいですし、これからもさまざまなことに興味を持ち続けていたい。ジェイともよく話し合い、そう決めました。
(2)I want to leave it better than how I found it
――ジェイ教授と医療経済学の研究をするようになったきっかけを教えてください。
ジェイとは、スタンフォードの疫学修士過程からの付き合いで、僕の師匠と言えます。ある時、ジェイに見せたい資料があってパソコンの画面を見せた時に、たまたま見ていた日本語のサイトが表示されていました。それを見たジェイが、「日本語読めるの?」と質問してきました。「読めますよ」と答えると、「それなら、いいプロジェクトがある!」と紹介されたのが、スタンフォード大学とGHCの共同研究です。
共同研究ではさまざまな研究をしましたが、最も印象に残っているのが、「日米における術後アウトカムのバラつき」に関する研究です(図表)。5つの術式におけるアウトカムで、米国では医療費のバラつきが大きいが、日本は術後死亡率や術後合併症などの医療の質におけるバラつきが大きいことを示した研究です。
こうした研究を続けながら、医療経済学の論文を読めば読むほど、答えようとしているテーマの範囲が広く、フレキシブルだし、非常に面白い学問であることが分かってきました。特に、医学的なアプローチだと特定の診療科に偏りがちですし、病院の経営をどう改善すべきかや、医療費の全体的なコストをどうべきかなどの視点が入りづらいです。そういう意味で、同じ医療でも全く別角度からの視点を得たように感じました。
僕が自身のキャリアで一番やりたいことを英語で言ってしまうと、「I want to leave it better than how I found it」です。日本語にうまく訳せないのですが、何かにエネルギーを込めて打ち込み、自身のキャリアが終わった時には、自分が関わり始めた時よりも必ず改善している、というようなイメージです。それができないキャリアを僕は望んでいませんし、それができるのであれば、方法や手段はどのような形でも良いと思っています。
例えば、米国は今、空前のヘルスケアベンチャーブームです。シリコンバレーでは、多くの投資家や起業家が経済的アプローチで医療をもっといい方向に持って行こうと、さまざまな製品やサービスが開発されています。僕は現在、たまたま臨床と研究という手法で「医療を自分がかかわる以前よりも前進させよう」とチャレンジしていますが、仮に僕がシリコンバレー的なアプローチで医療を「前進」させることができるなら、それはそれでいいと思います。
(3)人を変えるのは動機、動機を変えるのは構造
――日米の医療を研究してきて、どのような印象を持っていますか。
日本の医療も米国の医療も、良いところと悪いところがあると思っています。それぞれに問題を抱えていますが、少しずつ改善されているところもあれば、改善が難しいと思われるところもあります。それぞれの良いところをもっと取り入れて、もっと大きな改善に向かっていけばいいのですが、そう簡単なことではなさそうです。日米共通の課題もあるし、日米がそれぞれ持つ構造的な問題に阻まれて、簡単に良いところを取り入れることが難しいという側面もあります。
最も大きな問題は、病院、医療従事者、患者、保険会社、製薬企業など医療のステークホルダーそれぞれを動かす動機が一致していないことだと思います。このことは非常に難しい問題ですが、例えば、今の病気の時にお金が発生する医療の構造から、人の健康を保つことでお金が発生する医療の構造への変化など、人の動機を変化させられるだけの構造改革が必要なのではないかと、ぼんやりですが思っています。
日本の医療ということで言えば、岩手県立中央病院の総合診療内科、消化器外科を2週間、見学してきました。医療というよりも、文化の違いなのかもしれませんが、医療従事者と患者の関係が非常に素晴らしいことが印象的でした。医師や看護師は患者に対する態度、意気込み、接し方が、患者は医師や看護師に対する感謝の気持ちが伝わってくる、そんな互いの関係に感動しました。