ステージ3Bの医療経済学者、がんで逝った友への鎮魂歌
2017.6.12.(月)
「マイケル、これはチャレンジだ。我々は、これまでに何度も、不可能だと思われてきたことに挑んできたじゃないか。負けるんじゃない」
「アキ、今回のチャレンジは、いくら頑張っても勝てないんだよ」
胸腺がんと診断され、そのことを私に明かしたあの時のマイケルの表情や声は、今でも忘れることができません。
私の恩人であり、親友のマイケル・カルフーンは、それから約2年後の2009年、61年の生涯を閉じました。
そして5年後の2014年、医療経済学者である私は、ステージ3Bの大腸がんと診断されました。手術を終え、ただ病室の窓をボーっとして眺めていた時、その窓の向こうに、何度もマイケルの姿が浮かんできたのです。
「君は間違って学者になってしまった」
今から約20年前。私は、失意の中で米スタンフォード大学で研究をしていました。同大で発言力のある教授と意見衝突し、研究者としての出世の道を断たれ、いわゆる「窓際族」になってしまったのです。
スタンフォード大学で医療政策部を設立し、国際医療経済学者として名を売り始め、現在の同大医学部教授のジェイ・バタチャーヤ、「Health2.0」を推進することになるマシュー・ホルトなどの優秀な教え子たちに囲まれていたときのこと。まさに青天の霹靂に目の前が真っ暗になっていたとき、手を差し伸べてくれたのが、マイケルでした。
「アキ、友人として言わせてもらうと、君は間違って学者になってしまった。君のように型破りで破天荒な人間は、学者には向かない。一緒にコンサルティングをやろう」
マイケルを初めて知るのは、彼が当時の米国保健福祉省長官チーフ・オブ・スタッフの要職に就いていた頃のこと。日本で言えば、厚生労働省の筆頭格部局の長である大臣官房長のような立場でしょうか。そんな彼が、国民皆保険制度に興味を持ち、「日本の医療制度について教えて欲しい」とスタンフォード大学の私の研究室を訪ねてきたのです。
マイケルは「超」が付く有能な男で、すぐに日米の医療制度の違いを理解し、深いディスカッションができるようになりました。米国での学びだけでは満足できず、1年間、日本で生活しながら日本という国を研究した後、アメリカ屈指の病院経営コンサルティング会社の幹部にヘッドハンティングされたのでした。
「生産性」と「医療の質」
マイケルには感謝しかありません。学者から転じた経営コンサルティングの世界は、刺激的でやりがいにあふれていました。米国、欧州、シンガポールや香港などアジア各国の一流病院の経営や提供するサービスのあり方をドラスティックに変えていくのです。
世界各国の病院を通じて抑えきれなくなってきたのは、「日本の医療を変えていきたい」という想いです。国際比較すると、日本の医療は「生産性」と「医療の質」の両方で問題があります。生産性に問題があると、長期入院を招き、感染症になるリスクが高まり、退院後の日常生活レベルが低下したりするなど、医療の質にも悪影響を及ぼしかねません。
生産性と医療の質の両立を目指す世界の大きなうねりを目の当たりにして、当時の日本の現状に我慢ができなくなったのです。そうして2004年3月に設立したのが、グローバルヘルスコンサルティング・ジャパン(GHC)です。
日本で事業を開始してから3年後。久々に会ったマイケルから、「実は、胸腺がんになってしまったんだ。心臓まで転移していて、余命はわずかしかない」と切り出されました。その時、あまりのショックに言葉を失い、とっさに出た言葉が、冒頭のセリフだったのです。
負けるんじゃない――。
医療経済学者を名乗るものとして、彼の言葉が意味することが分からないわけではありません。私の励ましが、励ましではなく、残酷な言葉だったことも分かっています。それでも、私の恩人で、親友で、失いたくない大切な存在の死を、受け入れることができなかったのです。いつものように、データを使って、理性的かつ客観的な判断をすることなど、できなかったのです。
感情と理性
手術を終えた私は、マイケルの姿を思い浮かべると同時に、奇妙な感覚に襲われていました。
私は、医療ビッグデータを用いてベンチマーク分析し、「がん治療のバラつき」などの問題を浮かび上がらせてきた専門家です。これまでは、データを俯瞰して、あくまで第三者として、客観的な視点で分析に取り組んできました。それが手術後は、「第三者のものであったはずのデータポイントの中に、自分がいるかもしれない」ということになったわけです。
データの一つひとつが人の命を表わしていることは、これまでも知ってはいましたが、自分がデータポイントの一つになった今よりも、リアルに感じることはできませんでした。
人は、感情の生き物です。感情があるからこそ、人は現状に満足せず、自身を変え、世界を動かし、歴史を作ってきました。私の日本における経営コンサルティング事業も、「日本の医療を変えていきたい」という想いが出発点です。ただ、人は感情の生き物だからこその過ちを犯さないため、理性的に、客観的なデータを見ることで、最適な選択をするというプロセスが欠かせません。だからこそ私は、データにこだわり、ベンチマーク分析を通じた医療現場の改善に心血を注いできました。
それがデータポイントの一つに自身がなることで、改めて患者の心理面、医師や看護師のみなさんの献身ぶりなど、データでは分かりえないことに、改めて気付かされました。もちろん、データという「理性」の重要性を否定するわけではありません。データに反映されない「感情」も、同じくらい重要であると、再認識したということです。
人生の主役であり続けるために
中でも、特にデータに反映されない患者の心理面のサポートは重要です。米国人、医療経済学者、経営コンサルタント、データサイエンティストという普通の日本人とはちょっと違うバックグランドを持つがんサバイバーとして、ぜひ日本に広めたい制度があります。それは、がんの闘病生活に必要な知識を有する専門家が、がん患者一人ひとりを個別にサポートする仕組み「キャンサーナビゲーション(Cancer Navigation)」です。そう思うのは、がん患者の誰もが、いつでも最適ながん医療にアクセスできることで、常に「自身の人生の主役」であるためです(関連記事『がん患者の不安と徹底して向き合い導く「キャンサーナビゲーション」って何だ?』)。
がんは「不幸」ではなく「チャレンジ」であり、それは周囲の人々の支えによって乗り越えられるものです。もちろん、マイケルのように「勝てないチャレンジ」もあるかもしれません。しかし、マイケルは自分の運命を呪い、不幸な境遇を嘆きながら旅立ったわけではありません。自分自身の持てる力を出し切り、常に自分の人生を主体的に生き抜き、最期を迎えました。彼の人生の主役は、最期まで彼本人であり続け、病にその座を取って代わられることはありませんでした。
「日本の医療を変えていきたい」という想いのゴールの一つは、最期まで一人ひとりの患者が自身の人生の主役であり続けることができる医療提供体制の構築です。今まで以上に、そのゴール目指して邁進していきたいですし、尊敬する友に恥じることのないよう、私も一人のがんサバイバーとして、自身の人生の主役であり続けたいと思います。