「外の血」と競争恐れず、脚下照顧から始めよ―ニッポンがん医療、異端児対談(2)
2017.8.23.(水)
日本のがん医療に警鐘を鳴らす日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科教授の勝俣範之氏と、医療経済学者のアキよしかわ。異端児対談の2回目は、日本の医局制度の問題点に触れた前回に続き、怪しげな自由診療に傾く患者と医師との関係、日本のがん医療の発展に必要な「Evidence & Narrative」、データ分析の重要性などに言及する。
必須の抗がん剤治療の実施率が6割
アキ:私も何度か経験がありますが、日本の医局制度を米国の医師や医学生に説明することはほとんど不可能です。日本の医局制度は彼らには理解し難い、インポッシブルな制度です。米国では、医局のような枠で人材を囲うことはせず、外からの人材を積極的に受け入れて自由競争をさせて、より優秀な人材を残していくというのが普通です。例えば、私の出身のカリフォルニア大学バークレー校の医療経済学部の助教授で、同校出身者を探すと、直近5年間はいないというようなことはよくある話です。それくらい、同じ血にはこだわらず、積極的に外からの血を受入れて、自由競争を促すことを重要視しています。
勝俣氏:腫瘍内科医が日本で普及しないことも、根本的な問題は医局制度だと思っています。医局は臓器別にありますが、腫瘍内科は臓器横断型の科なので、医局制度の上には成り立ちづらいのです。同じように、感染症科や総合内科などもそうですよね。
アキ:米国では、腫瘍内科医はがん治療におけるオーケストラの指揮者の役割を担っています。それが日本で全然足りていないというのは、大きな問題だと思います。
勝俣氏:先日、ある大学病院の乳腺外科の医師が、がんが肺に転移し、胸腫に水が溜まってしまった乳がん患者に対して、標準治療であるタルクによる胸膜癒着療法をしていないというのを、SNSを通じて知りました。たまらず標準治療をすべきと指摘したのですが、応じてもらえませんでした。大学病院でさえ、そういう状況なのです。
アキ:乳がんのガイドラインを20年近く前に作成されたにもかかわらず、今でもそういうことがあるのですね。他のがんでも同じでしょうか。
勝俣氏:例えば、全国のDPCデータを用いて国立がんセンターが調査したデータによると、抗がん剤治療が必須の大腸がんのステージ3の患者で、抗がん剤治療実施率は約6割でした。おそらく、これは医師側の問題というよりも、患者側の希望による影響もあると考えています。その背景には、間違った抗がん剤治療の情報で溢れかえっているという惨状があります。
インターネット情報とマスメディア
勝俣氏:ネットを見ると、「WHO(世界保健機関)が抗がん剤は利かないと発表した」「米国では抗がん剤治療はやっていない」というような情報が無数にあり、しかもそれらがSNSなどを通じて拡散されてしまっているのです。
アキ:それはひどい偽情報ですね。誰が、どのような目的でそのような情報を流布しているのでしょうか。
勝俣氏:特に酷いのが、がん治療における自由診療の広告で、ほぼ野放し状態です。この状況を指摘し続けて、ようやく今年の国会で、医療広告規制で除外されているネット広告も規制に含めることが決まりましたが。
アキ:がんの自由診療については、医療界の重鎮や省庁の高官が推薦文などを寄せているという事例も目にしました。怪しげな治療が注目されてしまうのは、個々人のリテラシーの低さという問題もありますが、本来であればリテラシーがあるはずの関係者がその片棒をかつがされているという状況も大いに問題ですね。
勝俣氏:この問題に関しても、医局制度の弊害が根底にあると思っています。ダメなものをダメと言える文化がないからです。医師は、受験戦争、医学部、医局と閉鎖空間を通じて社会に出て、人事権を握られている教授の顔色を伺いながらキャリア積んでいくわけですから。明らかに間違っている治療や言動を教授がしていても、医局にいたら、言えるわけがないのではないでしょうか。
アキ:そういうダメなことをダメと言えない状況について、一般国民もなんとなく分かってきているからこそ、いざというときに怪しげな治療も選択肢の一つに入ってきてしまうという側面もあるのかもしれません。
日本の患者には二面性があるのではないでしょうか。一つは、医師任せにする「お任せ医療」の側面であり、もう一つの側面は医師を「先生」と敬っているように見せながら、実は上記のような理由で医師のことを信用していないという側面です。この両方に問題があると思います。
最近のことですが、インターネットだけでなく、日本のメディアの質に関しても疑問を感じる経験をしました。取材もせずに僕のコメントとして記事を作成し、事実誤認や誤解を招く内容や表現があるから、訂正するよう指摘しても、ほとんど訂正せずに記事が掲載されてしまいました。僕の本を記事にしていただいたのは嬉しいのですが、真剣に記事を読まれるであろうがんの患者さんやご家族、医療関係者のことを考えると、記事には正確さが重要だと思います。これは読み手のリテラシーではなく、書き手であるメディア側のアカウンタビリティーの欠如だと感じています。
勝俣氏:それは酷いですね。私も似たような経験はあります。しっかりとしたメディアや記者もいる一方で、そういう低品質なメディアがあると、真面目に仕事をしている人が迷惑しますね。
医師の両輪はEvidenceとNarrative
勝俣氏:やはり、今後の国内のさらなるがん医療の発展には、質の評価は欠かせないと思います。がん対策基本法が成立して10年が経ち、がん拠点病院が増え、ガイドラインも整備されてきました。ただ、施設やガイドラインを増やすだけでは不十分です。質を評価しなければ、次の発展はないと思っています。
アキ:米国では治療成績がすべてインターネットで公開されているので、「この病院に診てもらおう」というように、国民が自分たちの受ける医療を選択することができます。つまり、お任せ・お任され医療になるのではなく、情報開示の中でより良い医療を、医療者も、患者も追求していく仕組みがあります。日本もそこから学ぶべきものがあるかもしれません。
勝俣氏:医師の立場からがん医療のさらなる発展について言及すると、キーワードは「Evidence & Narrative」でしょうか。Evidenceはデータに基づく医療のことを指し、この重要性をこれまで議論してきましたが、患者とのコミュニケーションで必要な情報を引き出すNarrativeも重要で、EvidenceとNarrativeは車の両輪のような関係にあると思っています。
ただ、今のところ日本はEvidenceに基づいた医療もまだ十分でない現状にあり、Evidenceを重視する姿勢が甘いという側面と、Evidenceを重視するあまりに、Narrativeが疎かになる側面と2つの課題があります。特に若い医師たちは、このバランスをどう取っていくのかが大きな課題ですし、このバランスが、日本のがん医療の未来を左右するのではないでしょうか。
アキ:今回、大腸がんになり、日本で自身のがんを治療して、日本の医師や看護師の優秀さと優しさを改めて知り、日本の素晴らしさを再発見した思いでいます。日本には日本の素晴らしさがあり、米国には米国の素晴らしさがあるわけなので、日本が優れているだとか、米国が優れているということは言いたくないですし、言えないと思っています。
禅の言葉に「脚下照顧」という言葉があります。禅寺の門には「脚下照顧」と書かれた札が掛かっているのですが、これは門をくぐる前に、自分の本性をよく見つめよという戒めの言葉です。この言葉を通じて言いたいことは、日本も米国もまずは、それぞれの国や医療機関のデータをしっかりと見ることだと思います。より良い医療とは、必ずその先にあります。ですから、データを出すことを恐れてはいけないですし、データを出せない医師や医療機関が、そういう流れの足を引っ張るようなことだけは、あってはならないことだと思っています。
連載◆ニッポンがん医療、異端児対談
(1)データ公開阻む根本課題は、医局制度にあり
(2)「外の血」と競争恐れず、脚下照顧から始めよ