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医療費抑制は本当に「痛み」か―高齢先進国ニッポンを考える(3)

2016.3.16.(水)

 医療費の抑制には、患者の「痛み」が伴う―というのは本当でしょうか。単純にがんや難病などの医療費が抑制されるのであれば、確かに「痛み」を伴うと言えるでしょう。では、高血圧症や糖尿病など生活習慣病関連の医療費ではどうでしょう。経済財政諮問会議の専門調査会「政策コメンテーター委員会」の井伊雅子氏(一橋大学国際・公共政策大学院教授)が生活習慣病の外来診療を解析した結果、医療費や受診間隔に大きな地域差があることが明らかになったといいます。生活習慣病の医療費には地域ごとに大きなばらつきがあり、全国各地で言わば「非効率」が生じている可能性があります。井伊氏に詳しくご見解を伺いました。


生活習慣病などが医療費の半数の自治体も

 「医療費の高い疾患は何か」という問に対し、多くは「がん」と回答する。治療が長期にわたる上に、完治が難しいと一般的に認知されているためだろう。そのためか、医療費の大きなウエイトを占めているのが実際は高血圧症、糖尿病、慢性腎不全、脂質異常などの生活習慣病だと知ると、驚かれることが少なくない(図表1)。

図表1:医療費の比重が高いのは生活習慣病だと知ると驚く人も多い

図表1:医療費の比重が高いのは生活習慣病だと知ると驚く人も多い

 例えば人口12万人で高齢化率23%(2015年4月現在)である奈良県生駒市において、国民健康保険分の医療費は高血圧症、慢性腎不全、脂質異常、糖尿病の順に高く、これらの生活習慣病が全体の2割近くを占めている。多くの自治体でも同じような傾向にある可能性が高い。別の地方都市(人口3.1万人、高齢化率35%)では、生活習慣病に胃潰瘍、統合失調症、リウマチ、骨粗しょう症、変形性膝関節症を加えたトップ9疾患に医療費の半分程度が使われていた。

 また、ある自治体の医療費を外来と入院に分けて健康保険組合、国保、後期高齢者の3つの制度で比較すると、外来での医療費はやはり生活習慣病が上位を占めていた(図表2)。これに対して入院では、生活習慣病の一部が上位にランクしているものの、がん、脳梗塞、心不全の3大疾病も目立った(図表3)。

図表2、3:保険者別で見ても医療費の上位を占めるのは生活習慣病(詳細は「NIRA研究報告書『社会保障改革しか道はない-2025年度に向けた7つの目標-』(2015/05発行)」)

図表2、3:保険者別で見ても医療費の上位を占めるのは生活習慣病(詳細は「NIRA研究報告書『社会保障改革しか道はない-2025年度に向けた7つの目標-』(2015/05発行)」)

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 主に公費と国民の保険料によって賄われる医療費が、がんや難病などの治療に使われることに異論を唱える人は少ないだろう。しかし、それが予防可能な生活習慣病で、しかもたくさんの無駄を含んでいる可能性があるとしたらどうだろうか。こうした無駄な部分に切り込み、医療の効率化につなげることに「痛み」は決して伴わないはずだ。

診療実態が分からない外来診療

 同じ疾患の症例だとしても、治療法や入院期間が地域や病院によって大きく異なり、医療費のバラつきがあると考えられることが、03年に導入されたDPC制度によって明らかになってきた。これに対して、生活習慣病などのウエイトが大きい外来診療の実態はまだほとんど明らかになっていない。

 そこで、全国健康保険協会(協会けんぽ)から提供された13年4-7月のレセプトデータについて、大阪府済生会吹田病院の関本美穂麻酔科医長と解析すると、高血圧症と糖尿病1症例当たりの医療費や受診回数に地域差が見えてきた(詳細は「『日本のプライマリ・ケア制度の特徴と問題点』(井伊雅子氏・関本美穂氏、フィナンシャル・レビュー平成27年6月発行号)」)。

図表4:二次医療圏間の1人当たり外来費の最小値と最大値の格差

図表4:二次医療圏間の1人当たり外来費の最小値と最大値の格差

図表5:平均処方日数/受診間隔(分散)

図表5:平均処方日数/受診間隔(分散)

 図表4を見ると、受診1回当たりの医療費の格差(年齢・性別・合併症による影響を調整していない)は、高血圧症では診療所が3.3万円、病院が5.5万円。年齢、性別、合併症数による影響を調整した場合には、診療所が1.7万円、病院が3.1万円だった。

 糖尿病(調整なし)については診療所が4万円、病院が7.2万円。年齢などの影響を調整した場合は、診療所1.9万円、病院3.4万円だった。高血圧症、糖尿病共に調整後もなお大きなばらつきがある。これは年齢、性別、合併症以外の要素が医療費の格差に大きく関与していることを示唆している。

 一方、「平均処方日数」と「受診間隔」を見ると、診療所と病院とではこれらが大きく異なることが分かる(図表5)。

 こうしたばらつきが生じるのはなぜなのか。1つには、外来での標準的な医療の内容を示す診療ガイドラインの普及が進んでいないことが大きいだろう。このため、生活習慣病での受診頻度は医師の裁量で決められることがほとんどだ。その結果、生活習慣病での外来受診の頻度は、欧米諸国では一般的に3か月-半年間程度なのに、日本では2週-1か月間程度と極端に短くなっている。

 受診回数に比例して治療成績が向上するのならまだしも、成績が変わらないのなら効率化の余地があるはずだ。しかも、こうした無駄な医療費を抑制しても「痛み」を伴うどころか、財政難という「今ある痛み」を取り除き、医療の未来を切り開く処方せんになり得る。

連載◆高齢化先進国ニッポンを考える
(1)医療効率化後進国が日本の実態
(2)「日本は低医療費国家」は事実か
(3)医療費抑制は本当に「痛み」なのか
(4)「医師誘発需要」か「患者の希望」か
(5)日本の第三次医療改革はプライマリ・ケア制度の整備

井伊雅子(いい・まさこ)氏

一橋大学 国際・公共政策大学院 教授。国際基督教大学(ICU)卒業後、ウィスコンシン大学マディソン校で経済学博士号を取得。世界銀行(ワシントンDC)で勤務した後、1995年に横浜国立大学経済学部、2004年から一橋大学、現職に至る。経済財政諮問会議専門調査会「政策コメンテーター委員会」などでも活躍する。著書に 「アジアの医療保障制度」(東大出版・2009年)、 共著に「身近な疑問が解ける経済学」(日経文庫・2014)など。

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